まっしろライター

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「アキタランド・ゴシック」を読んで(きららMAX2013夏の読書感想文コンクール応募作)

アキタランド・ゴシック (1) (まんがタイムKRコミックス)

アキタランド・ゴシック (1) (まんがタイムKRコミックス)

アキタランド・ゴシック (2) (まんがタイムKRコミックス)

アキタランド・ゴシック (2) (まんがタイムKRコミックス)

 「ゲーム脳」という言葉がある。大ざっぱに言うと、「格闘ゲームガンシューティングゲームのやりすぎでゲームと現実の区別が付かなくなり、現実の世界でも暴力行為を働くようになってしまう現象」のことだ。もちろん、この概念に科学的な根拠は何もなく、大多数の人はゲームはゲームと割り切った上で節度を持ってゲームを楽しんでいる。しかし、アメリカや中国の軍隊が、実際の戦闘時に敵を撃つことを躊躇してしまわないよう、戦闘訓練の一環として兵士にガンシューティングゲームを行わせている実例もある。暴力的なゲームをする人は暴力的な性格になるのか。それは人々がゲームで遊び続ける限り、常に考えなければならない問題だろう。
 それはさておき、「アキタランド・ゴシック」は、とある北国の県に暮らす少女アキタと、彼女の友人や家族、更には県民たちの何気ない日常生活を描いた4コマ漫画だ。このあらすじに一切の嘘はないが、強いて説明を付け加えるとすれば、アキタには角が生えていて、県民の中にはゾンビや単眼少女がいる。冒険をしたり恋愛をしたりするわけでもない、ジャンルとしては所謂「日常漫画」の範疇に入ると思われるが、その日常そのものがどこか普通ではない。タイトルの通り、ゴシックホラー的な世界観を全体的に漂わせる作品、それが「アキタランド・ゴシック」である。
 上述のゾンビや単眼少女、聖なる夜に現れるという伝説の神獣、自らの意志で行動するロボット、世界中の海を征服せんと目論む海底人、数百年前に地上の県民と激しい争いを繰り広げた地底人、…。文字通り個性的な当作品のキャラクターの中で、私が最も魅力的だと感じたのはメインヒロインのアキタだ。これ以降は、愛情と敬意を込めて「アキタちゃん」と呼ばせてもらいたい。
 ゴスロリ調の服装、眠たそうな目つき、低いテンション、理屈っぽい性格、語尾に「だわ」を付ける口調。これら全てが合わさり、アキタちゃんは実年齢以上に落ち着きがあって大人びて見える(実年齢は作中で公表されていないが)。そんな彼女はしかし、自分の好きなものの話題になると途端に鼻息が荒くなる。お気に入りのFPSゲームは暴力描写に規制がある家庭用ゲーム機版ではなく、無修正のPC版で遊ぶ。グミは歯ごたえが命という信条を持ち、柔らかい国内製ではなく固い外国製のものを食べる。廃墟の写真集を読んでは興奮し、実際に廃墟を訪れては「滅び」について熱弁を振るう。等々、アキタちゃんが内に秘めた熱さを披露する場面は枚挙に暇がない。
 また、インドア気味の趣味が多い割に、アキタちゃんは友人のアサヒやコマチとしばしば外へ遊びに行く。フリーマーケットへ行ったり、盆踊りへ行ったり、海へ行ったり、おもちゃ屋へ行ったり、肉屋へ行ったり。その行く先々でアキタちゃん様々な県民と他愛ない雑談を交わしたり、時には彼らの悩みを解決するために奮闘したりする。気心の知れた家族や友人だけで構成された狭いコミュニティに閉じこもらず、外見も年齢も価値観も全く異なる県民たちとの交流は、アキタちゃんという人間に深みと厚みをもたらしてくれる。FPSゲームという、まさしく自分自身が銃を撃っているかのような感覚を味わえるゲームをジャンキーと自称するほど遊んでいながら、アキタちゃんはすこぶる良い子に育っている。暴力的なゲームが人格形成に与える悪影響を決して否定はしないが、それ以上にどれだけ外へ出かけ、どれだけ多くの経験をするのかが重要なのだと、アキタちゃんを見ていると感じる。
 礼儀正しく、地域のイベントにも積極的に参加し、好きなことにはとことん熱い。私はそんなアキタちゃんが大好きだ。残念ながら「アキタランド・ゴシック」の連載はもう終了してしまっているが、アキタちゃんは今もどこかで、自分の気持ちに正直に生き続けていることだろう。