まっしろライター

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『眩(くらら)~北斎の娘~』の予習として『北斎のむすめ。』を読む

  『北斎のむすめ。』の1巻が発売されたのは、2017年4月7日。

 そして先日、2017年9月7日に早くも2巻も発売されている。

 単純に、1巻の売り上げが良かったからかもしれないが、このドラマの放送にあわせたのではないかと思ってしまう。

 

www.nhk.or.jp

 特集ドラマ『眩(くらら)~北斎の娘~』

【放送予定】
2017年9月18日(月)総合 よる7時30分から8時43分 [単発]
【原作】
朝井まかて『眩』

 

 自分は4コマが好きなので、『北斎のむすめ。』はすでに読了済みだが、葛飾応為が主役のドラマが放送されると知って再読した。

 『北斎のむすめ。』はギャグ要素の強い4コマだ。しかし、決して荒唐無稽な作品ではない。

 生没年や作品の成立年など、応為のプロフィールには謎が多い。彼女について少しでも多くのことを知りたい人であれば、『北斎のむすめ。』はぜひ読んでほしい作品だ。

 また、ドラマの原作小説である『眩(くらら)』もあわせて読んでいる。

 『北斎のむすめ。』と『眩(くらら)』。ふたつの作品でお栄がどう描かれているのか、その違いにも言及したい。

 

 

お栄の人物像

年齢

 『眩(くらら)』の物語は、一度は結婚したお栄が、町絵師の夫・吉之助と離縁して出戻ってくるところから始まる。

 お栄が結婚したのは22歳で、離縁したのは3年後の25歳。そこから60歳で『吉原格子先之図』を完成させるまでの彼女の半生を描いた作品だ。

 一方、『北斎のむすめ。』のお栄は17歳。

 江戸時代の女性なら結婚していてもおかしくない年齢だが、髪も結わず、掃除や料理もせず、男衆に交じって気ままに絵を描いている。

 なお、お栄が登場する作品には他に、杉浦日向子さんによる『百日紅』がある。こちらのお栄は23歳。

 『北斎のむすめ。』は、10代のお栄を描いた貴重な作品でもある。

 

容姿

 実在した応為は、お世辞にも美人とは呼べなかったらしく、北斎からは「アゴ」と呼ばれていたという。

 『眩(くらら)』も基本的にはこの設定を踏襲していて、自分が「不器量」な女だと自覚している。

 しかし、『北斎のむすめ。』のお栄は、ひいき目に見ても美少女だ。姉の辰や、吉原の遊女たちにも見劣りしない。

 作中で面と向かって容姿を褒められることこそないが、吉原に潜入するために男装した際は、遊女たちから「美少年」と言われて人気の的になっている。

 

男性関係

吉之介

 北斎の死後、応為はふらりと家を出て、そのまま消息不明になったと伝えられる。

 それまでも、色恋沙汰とはほとんど無縁だったと思われるが、彼女を語る上で2人の男性を無視するわけにはいかない。

 ひとりは、応為の結婚相手として知られる吉之介。画号は「南沢等明」。

 『眩(くらら)』での吉之介は、虚栄心が強く、しかし小心者という描かれ方をしている。自分ではあまり絵を描かず、版元や絵師仲間の集まりに出席して顔を売るのに精を出している。

 お栄に自分の描いた絵を笑われ、言い争いの末にお栄が家を飛び出しても、吉之介は家の中からわめきちらすだけで、追いかけようともしなかった。愛想を尽かされて当然という男だ。

 

 『北斎のむすめ。』にも、吉之介は2巻から登場する。

 自分の不勉強だが、2巻を読んだとき、この吉之介がお栄の結婚相手だと知らなかった。知ったのは、そのあと『眩(くらら)』を読んでからだ。

 美人画の題材を探すため吉原に潜入した際、お栄は遊女と間違えられて張見世に出ることになってしまう。

 そこでお栄を指名したのが、吉之介だった。吉原に来たのは親に言われて渋々であり、「遊ぶ」つもりはなく、売れ残って暇そうなお栄を選んだという。

 内気な性格だが、「外見だけの女は嫌い」「人は中身がキレイでなくては」と吉之介は語る。遊女どころか女らしくもないお栄を批判せず、むしろ意気投合している。

 後日、吉之介と再会したときも、彼が描いた絵をお栄は「繊細で色遣いが美しい」と手放しに褒めている。

 こちらの作品でのお栄が、吉之介の絵を笑うようになるとは思えない。結婚をしてから、お互いの嫌な面が見えるようになるというやつだろうか。

 

渓斎英泉

 もうひとりは、善次郎こと渓斎英泉。

 春画や戯作の書き手として知られ、北斎に私淑していたという。応為から見れば兄弟子にあたる。

 『眩(くらら)』は、お栄と北斎の物語であると同時に、お栄と英泉の物語でもある。

 吉之介と離縁してからも以前と変わらずに接してくれる英泉に、いつしかお栄は恋心を抱く。

 しかし、根っからの風来坊である英泉は、別の女性と所帯を持ってしまう。大火や飢饉天保の改革の影響もあり、以来めったに顔をあわせることがないまま、59歳で英泉はこの世を去る。

 英泉への恋情は、お栄が『夜桜美人図』や『三曲合奏図』などの作品を生み出す原動力になっている。

 

 『北斎のむすめ。』にも英泉は登場するものの、こちらでは一貫して三枚目のキャラクターだ。春画の描き手だったことからの連想か、天井裏から女風呂を覗くなどの好色家として描かれている。

 お栄と栄泉のどちらも、相手への恋愛感情は持っていない。しかし、ふたりには絵師仲間である以上の縁でつながっている。

 幼少時代、花火大会に出かけたお栄は、そこで北斎とはぐれてしまう。そんな彼女を見つけて、家まで送っていったのが英泉だった。

 仕官をしていた彼は、自分が侍奉公に不向きな性格だと自覚していた。絵師になりたいという夢を持っているものの、仕事をやめるほどの勇気はない。

 そんなとき、女の子でありながら絵師になりたいと語るお栄に出会う。この出会いが影響したのかはわからないが、英泉は侍を辞め、浮世絵師「渓斎英泉」となる。

 『北斎のむすめ。』には、実在する若手絵師として、歌川国芳歌川広重も登場する。

 しかし、お栄が悩んだとき、そばにいるのはいつも英泉なのだ。

 

北斎の娘」から「葛飾応為」に

 生没年や作品の制作年と同様、お栄が「応為」という画号をいつから使い始めたのかはわかっていない。

 『眩(くらら)』では、天保5年(1834年)前後、『富嶽三十六景』が刊行されたころから「応為」(本文では「應爲」)の画号を使い始めている。作中の年齢では、お栄が37歳のころだ。

 『富嶽三十六景』により、日本どころか世界での評価も不動のものにした北斎。「応為」の画号には、北斎が当時使っていた「北斎改為一」にあやかり、「画業を一心に為そう」「他の何を捨ててでも絵筆で応えてみせよう」という彼女の想いが込められているという。

 

 お栄の10代の日々を描いた『北斎のむすめ。』でも、2巻で「応為」の画号が登場している。こちらの由来は、よく知られている「北斎がお栄を『おーい』と呼んでいたから」というものだ。

 「応為」の誕生までには、お栄が絵師として成長する過程が描かれている。

 同じ若手絵師である歌川国芳歌川広重と絵について議論していた際、「北斎の娘」なんだからそこまで考える必要はないと言われたのがきっかけだ。

 自分はふたりに「絵師」と思われていないと憤慨したお栄は、北斎をも超える江戸一の美人画を描いてふたりを見返そうとする。

 座敷では見られない、吉原の遊女たちの日常生活や、吉之介との出会いも経て、お栄はついに『蚊帳美人図』を制作する。

(『蚊帳美人図』は北斎の作品とされているが、応為が描いたのではないかともいわれている)

まだ100点の作品とはいえないが、その熱意が国芳と広重にも認められ、画号をつけることをお栄は提案される。

 

 『眩(くらら)』と『北斎のむすめ。』で、お栄が「応為」と名乗るようになった年齢にはずいぶんと差がある。

 しかし、共通するのは、お栄が「北斎の娘」でなく、独り立ちした絵師として絵を描こうと決心したときに「応為」を名乗るようになったということだ。

 お栄が使った画号には、他に「栄女」などもある。その中で「応為」の名が特に広く知られるようになった理由が、これらの作品には込められているように思う。

 

吉原の光と影

 『北斎のむすめ。』2巻の帯に、「吉原・花魁増えてます!!!!!」と書かれている。

 「増やしてほしい」という要望が多かったのかはわからないが、本を売る側がこの点を強調したくなる気持ちは理解できる。

 これまでに挙げた、吉之介や英泉との関係、「応為」という画号の誕生秘話などは、お栄を主人公にした作品を作るのであれば誰でも取り入れたくなる。それこそ『眩(くらら)』でも描かれており、『北斎のむすめ。』に限ったものではない。

 しかし、吉原にまつわるエピソードだけは別だ。

 本来、女性が吉原に入るためには、男性に連れて行ってもらうか、大門切手という通行証を発行してもらう必要がある。

 流行の最先端を知るため吉原に行こうとしたものの、どちらの手段にも失敗したお栄は、男装をして単身で吉原に潜入する。

 そこで高尾花魁や、個性的な遊女たちと知り合いになり、お栄は自身の絵の幅を広げていく。『夜桜美人図』も、こちらの作品では高尾花魁をモデルにした作品という設定になっている。

 葛飾応為が男装をして吉原に行く。ギャグ要素の強い4コマだからこそ、それぞれ美しさのベクトルが違う遊女たちを描き分けられる松阪さんだからこそできる、『北斎のむすめ。』の独自性だ。

 

 2巻では、遊女のひとり、吉野にスポットがあてられている。

 目が丸く童顔で、愛らしい容姿をしているが、移り気で惚れっぽい。現代の言葉でいうなら、「小悪魔系」だろうか。

 その吉野が、商家の奉公人である客に恋をする。

 吉原を脱走してふたりで暮らす計画を立てるが、待ち合わせ場所に男は現れない。自宅を訪ねてみると、母親が倒れて看病にかかりきりだったという。

 事情を知った吉野は、男を振る芝居を打つ。恋多き遊女にもてあそばれただけ。自分との関係は笑い話にして、母親と穏やかに暮らしてほしいという想いからだ。

 お栄には、吉野の気持ちが分からない。相手のために身を引くなんて考えられない。我を通すためなら、男性相手にもケンカをふっかけるような人物なのだから当然だろう。

 けれど、吉野みたいな女性を絵に描きたいと思う。独り立ちした芯の強い女性は描けるようになっても、誰かを慕って悩むかよわい女性はまだ描けないという。

 

 『吉原格子先之図』は、応為の最高傑作のひとつに挙げられる作品だ。光と影の対比が特徴的で、応為がレンブラントに例えられる所以にもなっている。

 『眩(くらら)』では、お栄はこの作品を安政3年(1856年)に描いている。英泉と北斎に先立たれ、弟の屋敷で隠居生活を送っていたころだ。

 その前年には安政の大地震があり、吉原も被災して仮宅で営業を行なっていた。日々の生活すらままならない状況でも、人々は華やかな遊女を見るために吉原に集まる。見物人の着物の柄さえ判別できない影と、格子から漏れる光が、幕末に生きる人たちの営みを表現している。60年の歳月を経て、お栄がたどりついた集大成だ。

 

 『北斎のむすめ。』のお栄はまだ、『吉原格子先之図』を描くきっかけすら掴めていない。

 恋をする女性の機微、人生の光と影、それらを理解しようとするには、彼女はまだ若すぎる。

 しかしそれは、この作品のお栄がまだ成長途中である証でもある。

 歴史上の人物をモデルにした作品は、当然ながらストーリーがほぼ決まっている。どれだけ斬新な設定にしたとしても、大筋は変わらない。

 どんな結末になるかわからないのは、応為など数えるほどだろう。

 『北斎のむすめ。』のお栄が、どんな人生を歩み、『吉原格子先之図』を描き上げるに至るのか。リアルタイムで追いかけられるのが、楽しみで仕方ない。